お捧げ

『バガヴァッド・ギーター』第9章 第26節

人が信愛をこめて

葉、花、果実、水をわたしに捧げるなら

その懸命な魂から捧げられた愛を

わたしは受け入れる

​Paramahamsa Vishwanamda

 

書籍『Shreemad Bhagaad Gita』THE SONG OF LOVE

P.492~500掲載

ーパラマハンサ・ヴィシュワナンダの御講話による解説ー

何と美しい詩節でしょう!ヒンドゥーの祈りで私たちはいつも花、葉、果実、水を捧げます。これらは誰もが容易に手に入れられる物です。主は大きな捧げものを必要としていません。事実、主は何も必要とされません。何一つ求めておられません。主はバクティ(信愛)について言及します。『人が何をわたしに捧げようが、何を望んでいようが、何が心の内側にあろうが、わたしが捧げものとして受け入れるのは、最もシンプルなこと、すなわち愛である』主は花を受け取るのではないのです。ここにある花はいずれ消えてなくなります!私たちは水と果物を捧げ、のちにそれらをプラサーダム(神に捧げたお供物/神の慈悲)としていただきます。しかし実際には主は、献身者のハートにある愛を、捧げものとして受け入れてくださっているのです。知識をもって神を征服することはできません。最もシンプルなこと、純粋な愛と献身を通してのみ、神は征服されてくださるのです。人がたった1枚の葉でも、1輪の花でも、数滴の水だけでも、心を主に定め、感謝の気持ちで捧げるのであれば、その愛を主は受け入れてくださいます。

 

すべての心が純粋な者、神への目覚めに心が固定している者、何の我欲も無い者、すべてのハートが純粋な者、そのような人たちのハートの中にある愛を、神は受け入れてくださいます。主クリシュナは至高の愛の神です。主がなす全行為と主ご自身は、主の献身者のために、またすべての人々のためにあります。愛ゆえに主は、イエスとして地上に顕現されました。愛ゆえに主は、主の命を人々に与えてくださいました。愛ゆえに、献身者のハートから捧げられたものを、すべて慈しんでくださいます。信愛をこめて捧げられた、たった数滴の水、あるいはたった数枚のトゥルシーの葉(聖なるハーブ/バジルの一種)で、主は充分なのです!主に大きな喜びをもたらすのです。この節で主クリシュナは、献身者の見返りのない、完全な明け渡しが重要であることを強調されています。主は他に何も望んでいません。ただ献身者の愛に満ちた純粋なハートを望んでいるだけです。

 

以下、要旨①ヴィドラのものがたり

『マハーバーラタ』の大戦争を回避するため、仲裁役として主クリシュナがクル族の都ハスティナプーラに赴きました。クリシュナは、豪華な宮殿に住まう否定的な性質をもつ王や重要人物たちの接待をすべて断り、物質的な富を放棄して質素に暮らすヴィドラの家に泊まり、そこで食事することをご自分でお決めになりました。ヴィドラは、クル族の盲目の王ドリタラーシュトラの身分違いの弟であり相談役でした。そして彼は、クリシュナがナーラヤナ神ご自身であることを知っていました。クリシュナがヴィドラの家を訪ねると、ヴィドラが留守だったので、妻が応じました。彼女はクリシュナを目にした途端、主の愛情に溶け込み、我を忘れて何もできなくなってしまいました。お腹がすいたクリシュナは食べ物を所望しましたが、家には数本のバナナしかありませんでした。彼女はバナナの皮をむき、実を捨てて皮のほうをクリシュナに捧げました。するとクリシュナは、祝福とともにバナナの皮を楽しみ、家中が主の愛につつまれました。帰宅したヴィドラは、宇宙を統べる主であるクリシュナが、我を忘れた妻の捧げたバナナの皮を召し上がっているのを見て、驚愕します。すると主はおっしゃいました。『愛しのヴィドラよ、わたしは何も必要としていない。バナナの皮だろうがなんら問題ない。わたしが受け取ったのは彼女の心からの愛で、それがまさに究極の捧げものとなる』

 

要旨②スダーマ―のものがたり

主クリシュナがグル(霊性の師)・サーンディーパニのアシュラムで暮らしていた学生期、スダーマ―という親友がいました。ある日二人は、薪集めのため森へ行くことになりました。グルの奥さんはスダーマ―に乾飯を渡し、クリシュナと分けあって食べるよう云いつけました。森の奥深くわけ入った二人は、森でひと晩明かさなければならなくなりました。夜も遅くなるとお腹がすきましたが、スダーマ―は嘘をついて自分だけ乾飯を食べました。翌朝アシュラムにもどり、何も食べていないクリシュナを見たグルの奥さんはとても怒り、「スダーマ―、これより先、おまえの家には食べ物がやってこない。おまえは貧しいブラーフミンとして、いつも物乞いせねばならぬ!」と言って呪いをかけました。

卒業後、スダーマ―は村で結婚して子どもたちをもうけましたが、グルの奥さんの呪いが成就し、貧しい暮らしぶりでした。空腹で衰弱したスダーマ―の妻は、夫の親友であるドワーラカの王クリシュナに会いに行くよう何度も請い、ついにスダーマ―はみすぼらしいなりのまま、ドワーラカへと旅立ちました。クリシュナの宮殿では、主はスダーマ―をご自分の椅子に座らせて、みずからが愛する親友の足を洗い、幸運の女神ラクシュミ―の化身である后ルクミニが篤くもてなしました。クリシュナは、主の敬虔な献身者であるスダーマ―の友情には、物質的な物を求めようとする欲望がまったくないことをご存じでした。スダーマ―は家から持ってきた乾飯の贈り物を恥じていましたが、主はそれを喜んでお食べになり、このわずかな乾飯の捧げ物が、全宇宙を満足させました。

スダーマ―が主のもとを去って家に帰ると、そこは巨大な宮殿に変わっていました。そして美しく着飾った妻と子どもたちが愉しげにしていました。主の愛と慈悲が、主にすべてを明け渡した献身者に、豊かな暮らしを与えたのです。スダーマ―は、主の偉大さをみて、心の中で祈りを捧げました。

 

要旨③ドラウパディーのものがたり

パーンダヴァ五兄弟とその妻ドラウパディーが森に追放されていたときのこと。彼らの邪悪な従弟ドゥルヨーダナは、彼らに聖者ドゥルヴァーサ(礼を失した者を呪詛する非常に短気で怒りっぽい聖者)の呪いをかけ、彼らを燃やして灰にしてやろうと企みました。ドゥルヨーダナは聖者ドゥルヴァーサに、数千人の弟子を連れて従弟たちの家に行き、豪華な晩餐のおもてなしをお受けくださいと申し出ました。

パーンダヴァたちは、太陽神から授かったアクシャヤ・パトラ(無尽蔵の器という意)をもっていました。一日に一回だけ好きなときに、食べ物を無尽に供給する器です。

聖者ドゥルヴァーサはドゥルヨーダナの願いどおり、パーンダヴァたちが食事を終えてから、彼らの家を訪問し、食事を所望しました。そして川で沐浴と礼拝をしたらもどると告げ、弟子たちと一緒に川へ向かいました。家には一粒のお米もなかったのですが、神のみを唯一の拠り所としているドラウパディーは何の疑いもなく、最高の友だちであるクリシュナに祈りを捧げました。するとその瞬間主クリシュナが現れ、『ドラウパディー、お腹がほんとうにすいているんだ、何か食べるものを頂戴』とおっしゃいました。そしてアクシャヤ・パトラをもってこさせると、綺麗に洗ったはずの器に一枚の葉を見つけ、喜んでそれを召し上がりました。主は『三界を満足させるのに、この葉っぱ一枚で十分なんだよ』と言われました。

さてこの出来事と同時に、川で沐浴を終えた聖者ドゥルヴァーサと弟子たちは突然、呼吸もできないほどひどい満腹感に襲われました。聖者ドゥルヴァーサは、マハー・ヴィシュヌの敬虔な献身者であるパーンダヴァたちに罪を犯したら主が激怒なさる、ということを心の内側から直感し、ひどい恐れをなしてその場から逃げ去りました。

 

要旨④象王ガジェンドラのものがたり

象王ガジェンドラは、ワニに咬みつかれて海に引きずりこまれ、殺される寸前でした。ガジェンドラは力の限り、主の名を呼びました。ナーラヤナ神は、アーディシェーシャ(竜王)に横たわり、マハー・ラクシュミと一緒におられましたが、象王の叫びを聞くとガルーダ(神鳥)に飛び乗り、次の瞬間、ガジェンドラのもとへ現れました。ガジェンドラは主の御姿を見ると、命の助けを求める代わりに、自分の側にあったハスの花を鼻で引き抜き、主に捧げました。主はガジェンドラの愛をお受け取りになると、スダルシャナ・チャクラ(円盤の武器)をワニの頭に投げつけ、象王を助けました。

 

要旨⑤ランチデーヴァ王のものがたり

偉大な王ランチデーヴァは、非常に慈善的、かつ献身的でした。しかしその高潔さゆえ人々の悪事に利用され、王の地位から物乞いへと転落してしまいました。家族は何も食べるものがないほど、ひどくみじめな暮らしになりました。多大な慈善を施し人々を助けてきましたが、今では彼らを助けに寄ってくる者は誰もいません。しかしランチデーヴァの内側には親切な質があったため、僅かな物でも常に分け合いました。

ある日、何日間も食べていない夫婦は一人分の大麦を手に入れました。調理して半分ずつ食べようとしたそのとき、一人の不可触民であるスードラが来て、飢えているので食べ物を恵んでくださいと頼みました。彼は自分の分を喜んで差し上げ、妻の分を二人で分けて食べようとしました。するとそのとき、たくさんの犬を連れた見知らぬ男があらわれ、食べ物を乞いました。彼は何も考えずに、残りのすべてを差し上げました。

夫婦は飢餓の状態にありましたが、水を飲んでやり過ごそうとしました。彼らが水を飲もうとしたとき、他の男があらわれ、喉が渇いているので水をくださいと頼みました。ランチデーヴァは深い思いやりの気持ちから、“私は輪廻からの解放も望んでいない、何も望んでいない、ただ主の愛が欲しい、他には何もいらない”と思い、彼のもっていたほんの少しの水を、この男に差し上げました。ランチデーヴァは半分死にかけていましたが、自分のことを少しもかわいそうだと思わず、水をあげたことに少しの後悔の念もありませんでした。

自分は死ぬのか?と思ったその瞬間、不可触民のスードラ、犬を連れた見知らぬ男、喉が渇いていた男たちがあらわれ、ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神としての真実の姿を明らかになさいました。ランチデーヴァの愛と献身と放棄にお喜びになった神々は祝福を与え、願いを聞き入れようとしましたが、彼は何も望みませんでした。

真の献身者は、神のご意志によって与えられるものを喜んで受け入れます。ランチデーヴァの家族は全員、心から主に仕え、この人生の終わりに、クリシュナ神の住まうヴァイクンタに到達しました。

 

聖典『シュリーマド・バーガヴァタム』には、主は純粋な献身者にすべてをお与えになり、最高の愛の境地へ連れていく、という示唆に富む話が、他にもたくさんあります。

     E-Veggie

    ラデ・ラデ