食前の祈りⅠ

『バガヴァッド・ギーター』第4章 第24節

ブラフマンは献身であり

ブラフマンは供物である

それは、ブラフマンである火のなかに

ブラフマンにより捧げられる

行為を通してブラフマンに専心する者は

まさにブラフマンに達する

​Paramahamsa Vishwanamda

 

書籍『Shreemad Bhagaad Gita』THE SONG OF LOVE

P.251~252掲載

ーパラマハンサ・ヴィシュワナンダの御講話による解説ー

この詩節は食前の祈りです。献身者にとってはすべてがブラフマン(神)に捧げる行為です。献身者と行為の間には何の違いもありません。献身者とブラフマン(神)の間にも何の違いもありません。献身者はブラフマンである神を、自分の中にみます。自分を通して神が働いているのをみます。

 

“ブラフマンは献身であり”ブラフマンは我が身を捧げて尽くす、奉献の行為です。ブラフマンは精神的目標です。“行動を通してブラフマンに専心する者は、まさにブラフマンに達する”ここで主は言われます。「行きなさい!そしてこの境地に到達せよ!」これが神実現に至るために、唯一行うべきことです。他にすべきことはありません。この境地が自己実現、あるいは神実現です。あなたが何をなそうと、まず神を優先させてください。この肉体は、神に達するために魂に与えられた道具であることを理解してください。バクティ(献愛奉仕)によってブラフマンの火(英知)に捧げられる心が、ブラフマンであることを理解してください。また、この自己の知識を通して、あなたの心の内奥に、唯一ブラフマンが在ることを理解してください。“行動を通してブラフマンに専心する者は、まさにブラフマンに達する”クリシュナは専心とは、主を至る所に、絶えず認知することである、と述べています。瞑想に座す時だけではありません。人はジャパ(神の御名やマントラを繰り返し唱えること)をするために座り、「今はジャパをしているから神様と一緒だけど、ジャパから出てくると神様から離れてしまいます」と言います。いいえ、そういうことではありません。

 

ここにあるジョークがあります。“神は、人々が望もうと望むまいと常に一緒におられる。ところが人々は、いつも神と一緒とは限らない”神実現を果たした者は、どこにいても、何をしていたとしても、神の意識状態にいます。神が行為の主体です。神がすべての歩み、すべての思考をなし、遍在しています。人が自己判断をしなければ、それがわかります。神が神御自身を瞑想しているのです。シヴァ神をみてご覧なさい。シヴァ神は瞑想の境地に在ります。

<後略>

     E-Veggie

    ラデ・ラデ